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人は何で生きるか

【2236】人は何で生きるか

 

 

【22/08/03】2022年8月度「100分de名著・forティーンズ」①のテキストとして採用されたもの。番組解説は、若松英輔さん。実はトルストイ初読みでした。番組テキストの該当部分→本著という順に読みました。テキストでかなり内容が解説されていたものの、やはり訳文には接しておくとよいと思いました。

 

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セミヨンは、貧しいけれども腕の立つ靴職人です。冬のある日、なけなしのお金で外套を仕立てに出向きます。ところが、当てにしていたお金の回収ができなくて、仕立て屋に断られてしまいます。

やけを起こしてお酒を飲んでしまうセミヨンが帰路に着くと、裸で座っている男・ミハイルを見かけました。一度は関わるまいと立ち去ろうとしたセミヨンでしたが、「おいセミヨン、そりゃいったいなんのまねだい?」という「内なる声」によって、ミハイルに服を着せて家まで連れて帰ります。

外套を待っていた妻・マトリョーナはカンカンです。セミヨンはミハイルに食事を出すよう妻に求めましたが、それどころではありません。

「マトリョーナ、おまえの胸には神様がお留守かね?」

 

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6年が経て、双子の女の子を連れた婦人の来訪がありました。それを見たミハイルは、セミヨン夫妻に自分が人間におとされた天使であることを告げました。ミハイルは、神に与えられていた三つの問いへの答えを得て、神に許されたのです。

 

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番組解説の若松英輔さんがこの作品に託したことの一つは、「問い」を抱き続けることの大切さではないかと感じています。天使ミハイルは、人間におとされる直前に神から与えられた三つの問い、すなわち、

①人の中には何があるか?
②人に与えられていないものは何か?
③人は何によって生きるか?

を探し続けていました。ミハイルは、その「答え」を見いだしたその瞬間にだけ、わずかに微笑みました。

いたずらに「わかりやすい」答えを求めてしまい勝ちな昨今ではありますが、誠実に問い続けることが、「生活」を「人生」に転換させ得るのではないでしょうか。

今回は一旦ここまでといたしますが、折に触れて「追記」があるやもしれません。その時にはまた、よろしくお願いいたします。それではまた!